銀座の高級バー「月影」では、パテック・フィリップの永久カレンダーが壁を刻む。カウンターでマティーニを傾ける女性が、大古の左手首に目を留める。
「そのヴァシュロン・コンスタンタン…レプリカですね?」
大古は苦笑いしながらグラスを置く。
「流石、麗子さん。この業界で貴女だけには嘘が通じない」
彼が捲った袖の下には、複雑なムーンフェイズが青く輝いていた。
麗子はバーカウンターに小箱を滑らせる。開くと、パルミジャーニの「トンダ クロノグラフ」が鎮座する。
「取引先の社長夫人が自慢してくるのよ。あの女、鑑定書まで用意して…」
大古は時計を掌でくるりと回す。ダイヤルに当たる照明の角度を変えながら…
「本物の"オパールブルー"は光で七色に変わる。これは…単なるコバルト色だ」
更にルーペでケースバックを覗き込むと、複雑な歯車の間に小さな埃が挟まっていた。
「本物のマイクロロット工房なら、塵一つ残さない」
麗子がため息をつく。
「でも外見はそっくりでしょう?」
「外見は9割方そっくりです」と大古は認める。「問題は」、彼が指で竜頭をそっと回す、「この感触。本物の永久カレンダーは、歯車が噛み合う瞬間に小鳥の羽ばたきのような振動がある」
レプリカの竜頭は滑らかすぎた。
バーの奥から店主が現れ、大古にウイスキーのボトルを差し出す。
「いつものシングルモルトだ。…ところで」
店主が腕まくりをすると、現れたのは驚くほど精巧なオーデマ・ピゲ「ロイヤルオーク」のレプリカだった。
「実はこれ、先月ベルリンで買ったんだが…」
大古は一瞥しただけで微笑む。
「タプisserie(裏蓋)の八本ネジ。本物は六角だが、貴のは五角形だ」
店主が呆然と時計を見つめる中、麗子が突然笑い出す。
「結局、私達が一番騙されやすいってことね?」
大古のグラスが月明かりに透ける。
「偽物に踊らされるのは、本物を愛する者だけですから」
銀座のネオンが窓ガラスに流れる。カウンターには三人のグラスと、本物と偽物が入り混じったロレックス コピー時計が並んでいた。それらを分かつ唯一の境界線は、大古の掌に刻まれた、偽物が作り得ないわずかな凹凸だけだった。