中野ブロードウェイ「copys888」の、柔らかな照明が当てられた一角に、雪原のような静謐な輝きを放つ時計が並んでいた。グランドセイコー スノーフレークダイヤルのレプリカ群だ。しかし、今日の主役はロレックス コピー新品ではなかった。店が摘発され、レプリカの新品供給が途絶えて一年。代わりにケース中央を飾るのは、数年前に当店で販売された中古レプリカたちだった。経年変化したケース、かすかにキズの入った風防、そして色褪せ始めた文字盤のブルー。それらは「スーパーレプリカ」としての輝きを失い、奇妙な「リアルさ」を獲得していた。
「店長、『リユースレプリカ』コーナー、思ったよりお客さんの反応が良いみたいです。」アルバイトの佐藤が報告する。彼の指す先では、若いカップルが一つの経年したスノーフレークレプリカを手に取っていた。「あのモデル、確か3年前のロットですね? 当時は『本物そっくり!』と評判でしたが…今では随分味が出てます。」
確かに、かつては完璧を謳ったレプリカも、年月と共に変貌していた。ケースには本物の使用感を思わせるヘアラインと微細な打痕。風防のキズは本物のアクリルが負う傷に似て、文字盤のブルーは太陽光でわずかに褪色し、本物の経年変化に奇妙に近づいていた。しかし、その本質的な違い──ザラツ研磨の深みの欠如、針先の微妙な丸み、そして何より、中身の精度が落ちた廉価なクォーツ機芯──は、玄人目には隠せない。
「…皮肉なものだな、佐藤。」私は経年レプリカを手に取った。「新品の頃は『本物そっくり』を売りにしたが、年月が経ち、『傷』や『褪せ』が増すほど、逆に本物との『本質的な差』が浮き彫りになる。」私はケースの側面を指でなぞった。「本物のスノーフレークは、経年と共にザラツの輝きが深みを増し、針やインデックスは永劫に変わらぬ輝きを保つ。それは『本物の素材』と『職人の執念』が生み出す『真の耐久性』だ。このレプリカの傷と褪せは、単なる『劣化』に過ぎない。」
その時、店に一人の中年男性、前田が入ってきた。彼はかつて「copys888」で新品のスノーフレークレプリカを購入した常連客だ。
「おお、大古さん! 懐かしい! あのスノーフレークのレプリカ、まだ現役で使ってるぜ!」前田は嬉しそうに自身の左手首を見せた。そこには、確かに数年前に当店で購入したスノーフレークレプリカが巻かれていた。ケースは傷だらけ、風防にはひび割れのような深いキズが入り、文字盤のブルーはくすんでいた。「見ろよこの傷! 登山でも海でも気にせず使ってきた! 本物だったら絶対にできないぜ!」彼は自慢げに笑った。「でもな…最近、日差が狂い始めてるんだ。多分、中の安物クォーツが寿命かな?」
前田が「レプリカの限界」を自嘲気味に語りながらも、愛着を持って使い込んだ時計を見せる様子に、佐藤が複雑な表情を浮かべた。
「…前田さん、よくあれで…」
「ああ。」私は頷いた。「彼のような『現実的なユーザー』にとって、経年レプリカの価値は、もはや『本物らしさ』ではなく、『気兼ねなく酷使できる相棒』としての『機能』と、共に過ごした『時間の記憶』そのものに移行しているのだろう。『本物の価値』を理解しつつも、等身大の使い方を受け入れる覚悟がある。」
その一週間後、店に一人の静かな紳士が訪れた。彼は無言で「リユースレプリカ」コーナーを一通り見渡し、前田がかつて購入したのと同じ型の、経年著しいスノーフレークレプリカを手に取った。その紳士は、実は諏訪にあるグランドセイコー工房のベテラン研磨師、小池であることを後で知った。
「…随分と、使い込まれていますね。」小池氏が静かに呟いた。彼はルーペも使わず、指先だけでケースの傷、風防のひび割れ、そして褪せた文字盤を丹念に撫でていった。「…この傷の付き方…乱暴だが、ある種の『愛着』を感じる…。」突然、彼の指が止まった。ケースバックの、かすかに剥がれかけた「グランドセイコー」のロゴシールの上で。
「…しかし…」彼の声は厳しさを帯びた。「…この偽造ロゴを、自らの肌に刻み続ける覚悟は…いかがなものか。」
小池氏はそのレプリカを買い取ると言い出した。驚く佐藤に対し、彼は静かに続けた。
「…私の工房の研修生たちに見せたいのです。『本物の価値』とは何かを考える反面教師として。」彼は経年レプリカを手に取り、窓辺の光にかざした。「…この傷と褪せは、『偽物が時間と共に露呈する虚構の哀れさ』を如実に物語っている。しかし同時に…」彼は褪せた文字盤のブルーを見つめた。「…使い手の『等身大の時間』が刻まれた、ある種の『真実』も宿っている。これは、『偽物の悲劇』でありながら、『一つの人生の証』でもある。」
小池氏が経年レプリカを「教材」として買い取って去った数日後、一通の小包が店に届いた。中には、小池氏が購入したあの経年レプリカと、一通の手紙が入っていた。手紙にはこう記されていた。
円・大古様
このレプリカは、貴店に戻します。研修生たちは、この時計が語る『二つの真実』──『本物の価値の高さ』と『偽物に刻まれた等身大の人生』──に深く考えさせられたようです。
ついては、お願いがあります。この時計を、貴店の『リユースレプリカ』コーナーに、特別な展示品として置いて頂けないでしょうか?
ラベルには、こう記して下さい。
『経年レプリカ:見せかけの輝きは消え、本質が露呈する。しかし、そこに刻まれた時間と記憶は、紛れもない真実である。』
これは、『レプリカ』という存在そのものを問う、生きた教材です。
小池 一郎
私たちは言われた通り、その経年レプリカを特別なケースに収め、小池氏の言葉を添えたラベルを付けた。奇妙なことに、その展示は、新品のレプリカが並んでいた頃には見られなかったほどの関心を集めた。人々は、傷だらけで褪せたレプリカを見つめ、ラベルの言葉を読み、静かに考え込んだり、熱心に議論したりしていた。
私は左手首の父のオイスターを見た。二つの深い傷痕が、展示ケースの照明に照らされていた。新品のレプリカは、虚構の輝きで人を惹きつける。しかし、時間が経ち、虚飾が剥がれた時、そこに残るものは何か? 本物の傷は、その下にある揺るぎない価値を証明する勲章となる。一方、レプリカの傷は、本質的な脆弱性と虚構性を暴く。しかし、小池氏が言うように、そこに刻まれた「等身大の使用感」と「共に過ごした時間」そのものは、否定できない「一つの真実」なのかもしれない。
この傷痕こそが、複製を超えて存在を問いかける、重い問いの刻印なのだ。私は、その傷に込められた無数の「矛盾」と「真実」を見つめながら、本物とレプリカが織りなす複雑な人間模様の只中で、このカウンターに立ち続ける。