中野ブロードウェイ「copys888」の、柔らかなスポットライトを浴びた一角に、深く静謐な青い輝きを放つ時計が並んでいた。セイコープレサージュ シャープエッジド アイスブルーだ。その最大の魅力は、職人が一つ一つ手作業で焼き上げる「琺瑯(ほうろう)」文字盤。複雑な釉薬の調合と窯の温度管理によって生み出される、他に類を見ない深みと透明感のある青は、「セイコー・ブルー」として愛好家を魅了する。
「店長、アイスブルーの新ロット入荷! 『スーパーレプリカ』です!」アルバイトの佐藤の声に期待が込もる。彼が慎重に差し出すのは、確かに美しい青い文字盤を持つロレックス コピー時計。「釉薬風樹脂盤、発色もかなり本物に近い! 光の当たり方で変化する質感も再現! ムーブメントは6Rクローン、精度も良好です!」
確かに、一見すればその青は目を奪う。本物を彷彿とさせる涼やかな色味。かつてのレプリカにあった単調なプラスチック感や、塗装のムラは見られない。プレサージュのレプリカ、特にこのアイスブルーは、その独特の美しさと比較的手頃な本物価格帯にもかかわらず、熱心なファンを生む。その「青」への憧れが、精巧な複製品への需要を生んでいる。
「色味の再現は確かに進化したな、佐藤。」私は認めつつ、文字盤を様々な角度から光にかざした。「ただ、本物のプレサージュ琺瑯の神髄は、この視覚的な美しさだけじゃない。諏訪の職人たちが、長年の経験と感覚で釉薬を調合し、何度も窯出しを繰り返す『手作業の偶然性』と、その過程で生まれる『唯一無二の深みと温もり』だ。」私はレプリカの文字盤を指でそっと撫でた。「この樹脂盤の感触は、本物の琺瑯が持つ、微細な凹凸と、陶器のような独特の『手触り』からは程遠い。その青も、本物の深淵を思わせる『釉薬の層が織りなす奥行き』と、光を吸い込み反射する『複雑な輝き』までは再現できていない。それは、『素材の本質』と『職人の息吹』の決定的な差だ。」
その時、店に和服姿の上品な老婦人、田中が入ってきた。彼女は「伝統工芸品コレクター」で、本物の琺瑯器を数多く所有する。
「まあ、またあのセイコーの青が…」田中は佐藤が持つレプリカを興味深そうに手に取り、懐中ルーペを取り出した。「…ふむ。確かに色は近い…しかし…」彼女は文字盤の表面をルーペで丹念に見た。「…釉薬の『層』がない。本物の琺瑯盤には、幾重にも重ねられた釉薬の薄層と、その中に閉じ込められた微細な気泡、窯変による微妙な色の揺らぎがある。これは…ただの精巧な『色模造』に過ぎないわ。」彼女は少し残念そうに、しかし理解を示すように微笑んだ。「まあ、本物の琺瑯時計は高価すぎて気軽に買えないし…この色を『楽しむ』だけなら、悪くないかもしれないね。」彼女は購入を決めた。「窓辺に飾って、光を透かして眺める『置物』としてなら、なかなか乙なものよ。」
田中がレプリカを「光のオブジェ」として購入していくのを見送り、佐藤が呟いた。
「…本物の琺瑯を知る方は、『色模造』と割り切って楽しむんですね。」
「ああ。」私は頷いた。「彼女のような『本物の美の理解者』にとって、このレプリカの価値は、『代替品』ではなく、『憧れの色を手軽に楽しむための、ある種の『遊び心』の道具』なのだろう。『本物の深み』を知る者ほど、その差異を承知の上で、別の形での『楽しみ方』を見出す。」
店が摘発され、レプリカの新品供給が途絶えて二年近くが経ったある春の日、一人の若い女性が店を訪れた。彼女は無言で「リユース品」コーナーに並ぶ、経年したレプリカたちを見渡し、一つの色褪せたアイスブルーレプリカを手に取った。その女性は、実は諏訪のセイコー琺瑯工房で働く職人の娘、山本桜であることを名乗った。
「…父が、このレプリカを探していたんです。」桜が静かに言った。彼女の手には、かなり色褪せ、文字盤にひび割れのような細かい傷が入ったレプリカがあった。「…これは、三年前に父が密かに購入したもの…その直後、工場の火災で…父は…」
桜の父、山本健一は、プレサージュ琺瑯盤の開発に心血を注いだベテラン職人の一人だった。彼は競合製品であるレプリカの「青」を研究するため、自ら購入していた。しかし、その直後に起きた工房の火災で、彼は重傷を負い、視力をほとんど失ってしまった。
「…父は、火傷の痛みに耐えながら、いつもこのレプリカを握りしめていました…。『俺の青…あのレプリカの青は…本物に…どこまで迫っていたのか…見たかった…』と…」桜の声が詰まった。「…しかし、父の目は…もう見えない…。」
桜は、色褪せたレプリカをそっとケースに置いた。
「…このレプリカ、譲っていただけませんか? 父に…触らせてあげたいのです…。本物の琺瑯盤と…このレプリカの…感触の違いを…。」
私たちは言葉を失い、そのレプリカを桜に手渡した。数日後、一通の手紙と共に、そのレプリカが店に戻ってきた。手紙にはこう記されていた。
円・大古様
お心遣い、感謝いたします。父は、長い時間をかけて、本物の琺瑯サンプルと、このレプリカを、指先で丹念に撫で比べていました。
やがて、父は静かに呟きました。
『…本物の琺瑯はな…釉薬の層が、指先に微かな波を打つ…まるで…湖面のようだ…。このレプリカの表面は…滑らかだが…浅い…底がない…。』
そして、色褪せたレプリカの文字盤に触れ、
『…この傷…ひび割れ…まるで…乾いた大地のようだ…。本物の琺瑯は…たとえ割れても…その破片一つ一つが…深い青の宇宙を内包している…。』
父は、見えぬ目から涙を流していました。『…レプリカの青は…所詮『色』に過ぎなかった…本物の青は…『命』そのものだ…』と。
このレプリカは、父にとって、『本物の深淵』を改めて知るための、痛切な道標となりました。どうか、これを貴店で展示して頂けませんか?
ラベルには、父の言葉を刻んで下さい。
『レプリカの青は所詮「色」、本物の青は「命」なり』
山本 桜
私たちは言われた通り、色褪せ、ひび割れたレプリカを特別なケースに収め、山本健一の言葉を添えた。その展示は、多くの客の足を止めさせた。人々は、傷ついたレプリカを見つめ、職人の言葉を読み、静かに手首の時計を見つめ直していた。
私は左手首の父のオイスターを見た。二つの深い傷痕が、展示ケースのスポットライトに照らされていた。本物の傷の下には、半世紀を超えて鼓動し続ける確かな「命」がある。一方、レプリカの傷と褪せは、その本質的な「命の欠如」を露呈する。しかし、山本親子の物語は、レプリカですら、本物の価値を知る者にとっては、その「深淵」を測るための痛切な「物差し」となり得ることを示していた。この傷痕こそが、複製を超えた「存在の本質」を問い続ける、重い鏡なのだ。私は、その傷に映る無数の「真実」を見つめながら、本物と複製が交錯するこの時計街の只中で、カウンターに立ち続ける。