代官山の落ち着いた路地は、渋谷の喧騒とは対極の世界だ。高級ブティックが並ぶ坂道を上りきった先、古いアパートの一室に、私は奇妙な工房を訪ねていた。ドアを開けたのは、無精ひげを生やした、しかし目に鋭い光を宿す男・岸だった。作業台にはルーペや精密ドライバーが散らばり、無数の時計の部品が整理箱に収められていた。壁には、分解された高級時計のムーブメントの拡大写真が幾枚も貼られている。ここは、レプリカ時計の“特注”を請け負う、極めて異質なアトリエだった。「俺が作るのは、ただのコピーじゃない」岸は、ネジを締めながらもはっきりと言った。“オリジナルへのオマージュ”だ。クライアントは、特定のモデルを“完璧に再現”してほしいと頼んでくる。素材、重さ、ムーブメントの挙動… 時には、本物の経年劣化すら再現する」。彼が手にしたのは、パテック・フィリップのカルトラを思わせる、しかしどこか微妙に異なるゴールドケースだった。彼の仕事は模造ではなく、一種の“究極の復元”だった。
岸の顧客層は限られていた。「ほとんどが、本物を所有している男たちだよ、大古さん」彼は皮肉な笑みを浮かべた。「彼らは言うんだ。“大事すぎて日常で気兼ねなく使えない本物”があると。だから、全く同じ感触のレプリカを日常用に欲しいと… あるいは、既に生産中止で入手不可能な“幻のモデル”を、手元に再現したいと」。岸の工房には、そういったマニアックな依頼が舞い込む。彼は本物の設計図を入手し、時には中古市場で手に入れた本物を分解して寸法を測り、オリジナルの部品メーカーにまで注文をかける。そこには、ブランドへの偽装というより、ある種の“コレクターとしての欲求”を技術で満たそうとする、歪んだ美学が存在していた。彼の作るレプリカ時計は、市場に出回る量産品とは次元が異なる、極めて高価な“芸術的贋作”だった。
岸の目は、複雑な感情を宿していた。「俺は、本物を偽って売り歩く業者とは違う」彼の声には強い自負がにじむ。「俺の仕事は透明だ。クライアントも、これがレプリカだと百も承知で、その技術と完成度に価値を認めて金を払う。問題は…」彼の視線が、作業台の隅に置かれた一つの美しいトゥールビヨンのレプリカ時計へと移った。「このクオリティが、悪意ある者たちの手に渡り、本物として詐欺に使われる可能性を、完全には否定できないことだ」。彼の職人としての誇りと、生み出したものが引き起こすかもしれない倫理的リスクの間で、彼自身が葛藤しているのが見て取れた。技術の粋が、倫理のグレーゾーンを深く掘り下げていた。
代官山の静かな夜道を歩きながら、岸の言葉が頭を離れない。彼の工房は、需要が生まれれば供給が現れるという、市場原理の極点を示していた。所有欲、技術への畏敬、そして倫理の狭間… レプリカ時計という存在は、単なる「偽物」というレッテルでは計れない複雑な層を露呈する。祖父のレプリカ時計の文字盤を、街灯の明かりで見つめる。長い年月をかけて蓄積された本物の風合い。それは、完璧に再現できる技術が仮にあったとしても、決して超えられない“時間”という絶対的な壁に守られているのかもしれない。代官山の闇は静かで、深く、そして複雑だった。
円.大古
東京時計考現学