函館霧の港、氷結する偽物

函館港の濃霧が、倉庫街を灰色のベールで包む。冷え切った鉄板の上で、大古（おおふる）の吐息が白く曇った。彼の指先にあるのは、フランソワ・ポール・ジュルヌ「シャンブル・クロノ」のレプリカ。取引相手の男は分厚い防寒着に身を固め、震えながら主張する。
「スイスの…工房…直送…だ…」
「零下10度で語れ」大古は無言で時計を鉄板に置いた。本物の18金ホワイトゴールドなら熱伝導率が高く、瞬時に氷結した鉄板に張り付く。だが、レプリカは微かに浮いている。
「…見えるか？」大古のルーペが、ケースと鉄板の間に潜む、髪の毛ほどの隙間を捉える。「この偽物はチタン合金。軽くて丈夫だが、熱伝導は金には及ばん」
男が焦り出す前に、大古は突然レプリカ時計を掌で強く握りしめた。数秒後、手を離す。本物の貴金属は体温で瞬時に曇りが消えるが、レプリカの文字盤には水滴が残ったまま。
「偽物のサファイアガラスは、表面処理が違う。結露の消え方が…遅すぎる」
港に汽笛が響く。男は諦め、霧の中へ消えた。大古は残った水滴を指で拭い、本物のジュルヌなら起こりえないこの現象を、静かに記録した。氷点下が暴いた、金属とガラスの偽りの本質。