中野ブロードウェイの迷路のような通路に、エアコンの低音と時計の微かなチクタク音が混ざり合う。私は円・大古、東京生まれ東京育ち、この「時計のディープウェブ」で十年以上も生きてきた男だ。私の店「copys888」は、無数のレプリカ時計店がひしめく三階の片隅にひっそりと佇む。ガラスケースの中には、完璧な光沢を放つ「スーパーレプリカ」たちが鎮座している。スイス製ETAクローン機芯、サファイアクリスタル、904L鋼──その精巧さは、玄人目利きですら一見では見抜けないほどだ。
東京の時計市場は二層に分かれる。銀座のブティックが「表の顔」なら、ここ中野ブロードウェイは「裏の心臓部」だ。ロレックス、特にデイトナやサブマリーナの鋼帯モデルは、永遠のアイドルだ。完璧を求めるサラリーマン、トレンドに敏感な若者、コレクターの域に達したオタクたち…彼らは皆、ブティックの長い待ちリストと法外なプレミアム価格にうんざりしながらも、あのクラウンの魔力に抗えない。だからこそ、私の店に迷い込むのだ。彼らの目は、ケースの中の「代用品」を見つめるとき、切望とわずかな罪悪感、そして達成感が入り混じった奇妙な輝きを放つ。私はその目を十年以上見続けてきた。毎日、冷たく完璧なレプリカを手に取り、説明し、箱に詰める。それらは工業的な美の結晶であり、同時に虚構の象徴でもある。
しかし今、私の左手首に重みを感じているのは、そうした「完璧な偽物」ではない。分厚い「バブルバック」ケース、シンプルな「369」文字盤──1960年代のロレックス・オイスター・パーペチュアルだ。ケース側面には、昨夜の事故で刻まれた深く鋭い傷痕がくっきりと浮かび上がっている。それは父、円・正男がこの世に残した唯一の形見だ。
昨夜の新宿は、まるで天が裂けたかのような豪雨に見舞われていた。主要サプライヤーとの、最新バッチのデイトナ用クローン4130機芯の「脱進調速機構の微妙なガタつき」についての、延々と続く電話会議を終えたばかりだった。疲労と苛立ちが視界の端を曇らせる。車載ラジオが日経平均の急落を騒々しく伝える中、母からの着信がダッシュボードを震わせた。咄嗟に手を伸ばしたその瞬間、ハンドルが水溜りに吸い込まれ、車体がグワングワンと狂ったように回転した。金属が軋み、粉塵が舞い上がる衝撃。エアバッグの化学薬品臭い粉塵の中、意識がかすむ。左腕を探る──何もない。普段は車のダッシュボードに置いていた父のオイスターが消えていた！ 車の損傷や痛みより先に、冷たい恐怖が脊髄を駆け上がった。泥まみれの車外に這い出し、がれきの中を必死に探す。変形したドアの隙間で、かすかに光るものを発見した。拾い上げたケースには、父の工場事故の傷跡を思わせる、深く醜い傷が刻まれていた。雨粒がその傷を伝い落ちた。
父・正男は、精密機械工場で生涯を削った職人気質の男だった。このロレックスは、彼が若き日に一年分のボーナスを注ぎ込んだ、誇りの証だった。子供の頃、この時計はいつも父の手首にあり、機械油の匂いや、深夜まで続く設計図面と格闘する父の背中と共に記憶に刻まれていた。しかしそれは、私が渇望する「スピード感」と「新しさ」に溢れた東京の生活とは、あまりにもかけ離れていた。大人になると、軽やかなクォーツ時計に替え、やがては自らが扱う最新の「スーパーレプリカ」を身に着けた。父のオイスターは、彼の「古臭い職人精神」と共に、引き出しの奥深くに封印されていたのだ。
傷ついた時計を握りしめ、私は中野ブロードウェイの最も奥まった場所にある「鈴木時計修理」のドアを開けた。鈴木清。70代はゆうに超えるという老店主は、分厚いルーペを装着し、その奥の目は鷹のように鋭かった。彼は傷だらけのオイスターを受け取ると、まるで生き物を診る医師のように慎重にケースの深い傷を撫で、古びた文字盤を見つめた。
「円君、ご尊父の形見かな？」鈴木師匠はルーペ越しに私を見た。私はただうなずく。彼は特別な工具を取り出し、オイスターのスクリューバックを慎重に開けた。内部にはCal.1030自動巻き機芯が現れた。埃をかぶっていたが、歯車は星図のように整然と並び、基板にはジュネーブストライプがかすかに残っていた。鈴木師匠は顕微鏡のようなルーペを覗き込み、細いピンセットで折れたヒゲゼンマイの破片を摘み取った。「骨はしっかりしておる。ただ、魂が揺らいでおるな」と彼は呟いた。
洗浄、部品交換、注油…各工程は神聖な儀式のようだった。鈴木師匠は、小さなテンプ受け石を調整しながら、突然語り出した。「円君、『パーペチュアル』の意味を知っておるか？ 外からの力に頼らん。ただ腕の自然な動きだけで、ゼンマイを巻き、鼓動を続ける。人間の生き様も同じじゃ。止まれば、時間は死ぬ。動き続けること、それが命というものじゃ」 彼の静かな言葉は、私の心の錆びた錠を外す鍵となった。工場の騒音の中でも黙々と機械と向き合う父の背中、深夜の机で図面と格闘する父の姿──それらは決して「古臭い」ものではなく、揺るぎない「パーペチュアル」精神の体現だったのだ。
修理が終わり、時計は古い精度測定器に載せられた。画面には緑の線が描かれ始めた。初めは乱れていた振幅も次第に安定し、日差は驚くべき+2秒以内に収まった。「見よ、円君」鈴木師匠は画面を指さした。「50年以上前の老いぼれ機芯が、これほどの衝撃を受けてなお、この精度を保つ。ご尊父はこれを身に着け、どれほどの精密機械と向き合ったことか。根底にあるのは『パーペチュアル』の精神──精度への執念、責任への固執じゃ」 安定した緑の線は、私の職業観を根底から揺さぶった。私は見た目ばかりを追い求め、時計の魂である「鼓動」を見失っていた。この力こそが、ブランドや素材を超えた真の価値だったのだ。
父のオイスターが私の手に戻った。その重みは、不思議な安心感をもたらした。文字盤のラドミウムは薄暗い店内で微かに光り、まるで父の優しい眼差しのようだった。私は覚悟を決めて左手首にはめた。冷たいステンレスが肌に触れた瞬間、力強い「チク、タク、チク、タク」という鼓動が骨を伝い、心臓に直接響いてきた。それは父の心臓の音だった。この鼓動こそが、父が遺した生きる証だった。
「copys888」に戻ると、常連客の山田が最新の「スーパークローン」パンダデイトナを熱心に見ていた。「おお、円さん。これは良くできてる！ 前回のよりクロノグラフのプッシュ感が格段にいいな」。彼の視線が突然、私の左手首に釘付けになった。「…おや？ 円さん、それは…」彼は近づき、目を細めた。「ヴィンテージのオイスターか？ その傷は…？」
私は躊躇なく手首を差し出した。事故の傷はライトに照らされ、新品のレプリカたちと鋭い対照をなしていた。「父の形見です。昨夜ちょっとした事故に遭い、鈴木師匠に直していただいたばかりです」
山田の眉がわずかに動いた。彼の目つきが変わった。品定めの目が、傷だらけのオイスターに注がれ、まるでケースの奥のCal.1030を見透かすかのようだった。「鈴木清…あの老師匠の腕は『人間国宝』並みだよ」彼は呟き、無意識にメガネを押し上げた。「この傷…円さん、今の精度は？」
私はブレスを外し、渡した。山田は慎重に時計を耳に当てた。店の雑音が一瞬消えた。数秒後、彼は顔を上げ、驚嘆の表情を浮かべた。「この音…重厚で安定してる。まるで強靭な心臓の鼓動だ！ あんな衝撃を受けたとは思えない！」 彼は時計を返し、完璧なレプリカたちを見渡してから、私の目をまっすぐに見た。「円さん、俺たち古い時計好きは言うんだ。『本物の傷』と『本物の物語』を持った時計は、ショーケースの新品より重みがある、とね」。彼はパンダデイトナを指さした。「今日はパスするよ。次は…味のある古いセイコーを探してくれないか？」
山田の言葉は、鈴木師匠の修理作業に深い意味を加えた。深夜、店のシャッターを閉めた後、私は一人残った。父のオイスターを外し、ショーケースの照明の下に置いた。スポットライトが、深い傷と古びた輝きを浮かび上がらせた。私はスマホのストップウォッチ機能を起動し、秒針を追った。一分、二分…五分経過しても、この老いたCal.1030は正確無比だった。衝撃は私の背骨を駆け抜けた。この信頼性こそが、機械の真髄だった。
私は再び時計を手首にはめた。その傷痕は、今では勲章のように感じられた。私は「copys888」を続けるだろう。しかし、見る目は変わった。ガラスケースの向こうに並ぶ完璧なレプリカたちは、依然として美しい。しかし真の価値は、傷を負いながらも鼓動を止めない内なる「パーペチュアル」精神にあると悟ったのだ。
私は引き出しを開け、サプライヤーから届いたばかりの最新型「アルティメットレプリカ」カタログを取り出した。ピカピカのデイトナの写真が輝いている。私はペンを手に取り、機芯仕様欄の余白に力強い文字で書き込んだ。
重点検査項目：
機芯安定性最優先： 実走72時間以上の精度測定必須（日差-10/+10秒以内）。振幅・レートの詳細レポート添付。
クロノグラフ耐久テスト： スタート/ストップ/リセットボタンの連続500回押しテスト実施。長期使用による不具合排除。
ゼンマイ&動力伝達系： 巻き上げ効率と動力解放の滑らかさを厳重チェック。異音・動力断絶を排除。
書き終え、私はカタログを明日の作業山の一番上に置いた。父のオイスターが手首で確かな鼓動を刻む。「チク、タク、チク、タク」。この音は、東京のディープな時計市場を生き抜くための、私の新たなる羅針盤だ。真の価値は、傷を負いながらも決して止まらない鼓動の中にある──この傷痕から得た「パーペチュアル」の覚悟こそが、この東京の時計市場で、私が立つ揺るぎない基盤となった。
