中野ブロードウェイ「copys888」の店内、派手なスポーツモデルの陰にひっそりと、ある種独特の存在感を放つ時計が並んでいた。ユリスナルダンだ。「時計師の時計」と称されるその時計は、複雑なマニュファクチュールムーブメントと、機械的な美を剥き出しにしたダイアルデザインが特徴。その職人技と哲学的なアプローチは、熱狂的なマニアを生む。
「店長、ユリスナルダン『クラシック』のレプリカが入りました！」アルバイトの佐藤の声は、珍しく緊張気味だった。彼が手にするのは、同社の象徴的なモデルの、かなり挑戦的なレプリカだ。「オープンダイヤル、歯車やテンプが見える構造は…一応再現されています。ムーブメントは上海製クローン手巻き機芯、見た目はそれなりに…」
確かに、一見すると複雑な機構がむき出しのダイアルはインパクトがある。しかし、近づいて見れば、歯車の仕上げの粗さ、テンプの質感の違い、そして何より、動きの精緻さの欠如が明らかだった。ユリスナルダンのレプリカは、その特異なデザインと極めて高い技術的ハードルのため、「スーパーレプリカ」ですら形骸的な模倣に留まらざるを得ない。それゆえに、一部のコレクターや「研究熱心なオタク」の間で、ある種の「挑戦的なアイテム」として流通する。
「…無理があるな、佐藤。」私は率直に言った。「本物のユリスナルダンの神髄は、この機械的な外観の奇抜さだけじゃない。独立時計師のフレデリック・ユリスが、妥協を許さずに追求した『機械そのものの美』と、複雑系でありながら高い精度と信頼性を両立させる『技術的奇跡』だ。」私は動くテンプを指さした。「このレプリカのテンプの動きは、本物のユリスナルダンが持つ、滑らかで力強い『生命感』とは程遠い。歯車の噛み合いの音も、本物の『精密機械の音楽』とは異質だ。それは、部品精度、素材、組み立て技術、そして何より『作り手の哲学』の決定的な差だ。」
その時、店にカメラと分厚いノートを抱えた若者、高橋が入ってきた。彼は「時計メカニズム研究家」を名乗り、複雑時計の分解動画をネットに上げている。
「おお、遂に来たか！ ユリスナルダンレプリカ！」高橋は佐藤が持つ時計を興奮して手に取り、早速ルーペとスマホカメラを構えた。「うーん…確かに見た目はそっくり…でも、歯車のエッジの仕上げが甘いな…テンプのバランスもイマイチ…」彼はぶつぶつ言いながら、熱心に観察と撮影を始めた。「でも、これで本物の何十分の一だ！ 分解して、あの独特の機構を『研究』するには最高の教材だ！ 本物はとてもじゃないが触らせてもらえないしな！」彼は即決で購入した。「内部の構造を暴いてやるぜ！」
高橋がレプリカを「研究教材」として購入していくのを見送り、佐藤が呆けたように言った。
「…あんなに粗いレプリカを、喜んで買うんですね？ 『研究』って…」
「ああ。」私は頷いた。「彼のような『マニアの探求者』にとって、ユリスナルダンレプリカの価値は、『所有欲』や『見た目』ではなく、『本物の複雑な機構を、手頃なコストで手に入れ、その構造を暴き、理解できること』にある。『本物の価値』の高さと入手困難さを理解しているからこそ、その不完全な『写し』にも価値を見出すんだ。」
店が摘発され、レプリカ市場の熱が冷めつつある中、ヴィンテージや独立時計師作品のコーナーは少数精鋭の客を惹きつけていた。その一角に、フレデリック・ユリス自身が設立前に携わったとされる、ある独立時計師の初期作品が置かれていた。シンプルな三針ながら、ケースバックに露出した手巻きムーブメントは、驚くべき手工芸の粋を見せていた。ケースには細かい傷があったが、その機械は今なお滑らかに、威厳を持って鼓動していた。
ある静かな夕刻、一人の年配の紳士がその時計に釘付けになった。彼は無言で時計を取り出し、分厚いルーペで歯車の一つ一つ、テンプの動き、ネジの頭の仕上げを、息を詰めて観察した。その目は、尋常ならざる集中力を宿していた。
「…これは…」紳士が震える声で呟いた。「…若き日のユリスの手が、確かにここにある…。」彼は深い感慨と畏敬の念を込めて時計を手に取り、耳元に近づけた。「…このテンプの音…滑らかで、深く、揺るぎない。まるで…『時』そのものが奏でる音楽だ…。」彼は長い間、その鼓動に耳を傾けていた。
紳士は、自身も小さな工房で時計作りに携わるマスターウォッチメーカーだと語った。
「…値段は？」
私は正直な（そして天文学的な）価格を伝えた。紳士は一瞬、目を見開いたが、すぐに深く深く、何度も頷いた。
「…高い。しかし、当然だ。」彼は機械の動きを、愛おしむように見つめた。「…この歯車の一枚一枚に込められた執念と技術…この完璧な調和…これらは、金銭では測れない『時計作りの真髄』だ。」彼は迷いなく購入を決めた。「これは、単なる『時計』ではない。『独立時計師の魂』と『機械と時間に対する愛』が結晶化した、生ける芸術作品だ。精巧な複製品など、その輝きの前では単なる『玩具』に過ぎない。」
紳士が去った後、佐藤が言葉を失った様子で立っていた。
「…あの時計、レプリカの何十倍も…」
「ああ。」私は左手首の父のオイスターを見た。二つの深い傷痕が、薄暗がりの店内で、かすかに鈍く光っていた。「彼が買ったのは、『複雑な機構』でも『奇抜なデザイン』でもない。あの小さな傷と磨かれた歯車の輝きに込められた、『本物の時計師の魂』と、機械と対話する『至高の技術』そのものだ。レプリカは、機構を『解剖』する対象にはなりえても、その職人が魂を込めて紡ぎ出した『機械の生命』と、ロレックス コピー時計作りの『哲学的深淵』を映し出すことは永遠にできない。」この傷痕こそが、偽造を絶対に許さない、至高の価値の証明なのだ。私は、その傷に宿る無言の「執念」と、その下で確かに鼓動し続ける「本物の機械の生命」を信じて、この場に立ち続ける。
